二代勝平 菊慈童 帯留

萩谷勝平 菊慈童帯留

二代勝平(かつひら)菊慈童(きくじどう) 帯留(おびどめ)でございます。

二代勝平は安政6年9月(1859)生まれ、江戸後期から明治期の水戸彫金界の巨匠萩谷勝平の長男勝容(鈴木家と養子縁組)の三男で萩谷勝平の孫にあたります。
明治8年(1875)に萩谷勝保(萩谷勝平の次男)の養子になります。
明治19年(1886)祖父萩谷勝平没後に萩谷家と不縁になり鈴木家に戻ります。上京し二代目勝平を名乗りました。

菊慈童は、能の曲名にもなっていますが、周の穆王(ぼくおう)に仕えて寵を受けしも、誤って王の枕を跨いでしまい、十六歳にして流罪に処せられます。憐れんだ王から賜わった枕の2句の偈 (げ) を菊の葉に書き写すと、菊の葉から露がしたたり、その露を飲んで不老不死となったということから、不老長寿のシンボルとされています。

<サイズ> 5.7㎝×4.0㎝