~多才な工芸家~ 逸見東洋(へんみとうよう)

銘・号

竹裁、東洋、竹貫斎、呑象、三猿斎、臥虎

生没

弘化3年(1846年)-大正9年(1920年)

略歴

弘化3年(1846)10月18日備前国岡山生まれ
刀剣商藤五郎次男
本名:逸見大吉

文久2年(1862)京都で天龍子正隆に刀工の技術を学ぶ
元治1年(1864)岡山に戻り竹貫斎義隆の名で刀工となり、技量が非常に素晴らしく『明治正宗』と称される
明治5年の廃刀令後、刀身彫刻を得意とした逸見東洋は木彫・竹彫・漆芸を幅広く手がけ、特に堆朱(ついしゅ)に才能を発揮する
明治18年(1885)明治天皇に太刀を献上
明治26年大阪で刀商を開業するが日清戦争終戦とともに不振となり岡山へ戻る
明治28年第4回内国勧業博覧会へ「ツゲ材の蟹の置物」を出品、一等賞金牌受賞
明治43年堆朱食籠を明治天皇に献上
大正4年兄(鞘師・刀剣商の安造)との合作で太刀を大正天皇に献上
大正9年(1920年)12月24日 75歳で没

逸見東洋作品の一例

まとめ

幼い頃から器用であった逸見東洋は素晴らしい技量を持ち、「明治正宗」と称される刀工になりました。
しかし、廃刀令の影響を受けて多くの刀工が廃業に追い込まれる中、東洋は木彫・竹彫・漆芸も幅広く手がけるようになります。
特に堆朱(ついしゅ)に才能を発揮しました。
刀身彫刻を得意とした東洋は彫技が素晴らしく細密精緻な作品を残しています。