~日本で最初の貿易会社~ 起立工商会社(きりゅうこうしょうがいしゃ)

今回は、明治時代初期、日本の美術品や物産品を世界に輸出した日本の貿易会社である起立工商会社についてご紹介します。

「起立工商会社(きりゅうこうしょう)」

起立工商会社の誕生

1873年ウィーン万国博覧会を契機に政府の万博参加に際して出品された大量の工芸作品を現地で売却するためウィーンで結社し、1874年に現在の東京で創業されました。

英語の社名は「The First Japanese Manufacturing and Trading Company」で、英訳のとおり日本で初めてできた貿易会社です。
現在でもその社名は欧米でもよく知られています。

ニューヨークとパリに支店を持ち、日本政府と強く連携して国内の優れた工芸品や美術品をプロデュースし、海外博覧会を通じて海外に輸出を行いました。

海外博覧会出展の軌跡

明治24年に解散するまでの間に11の海外博覧会に出品しました。

  • 1875年(明治8年)メルボルン万国博覧会
  • 1876年(明治9年)フィラデルフィア万国博覧会
  • 1878年(明治11年)パリ万国博覧会
  • 1879年(明治12年)シドニー万国博覧会
  • 1880年(明治13年)メルボルン万国博覧会
  • 1883年(明治16年)アムステルダム殖民地産物及一般輸出品博覧会
  • 1883年(明治16年)ボストン技術工芸博覧会
  • 1884年(明治17年)ロンドン万国衛生博覧会
  • 1885年(明治18年)ニユルンベルグ金工万国博覧会
  • 1888年(明治21年)バルセロナ万国博覧会
  • 1890年(明治23年)パリ万国博覧会

内国博覧会出展の軌跡

内国勧業博覧会においては第1回~3回まで大口の一出品社として自社製作品のみ出品しており、その作品は他社とは一線を画するものでした。
第1回では龍紋賞碑(一等賞)、第2回では有功賞碑一等そのほか各博覧会において受賞を重ねました。

起立工商会社作品の製作には近代美術を代表する名工が多く関わっていました

起立工商会社の作品の製作にあたっては配下に多くの専門分野の職人を抱え、装飾、器形は下図工にデザインさせ、専門分野毎に分業製作を行っていました。
作品の製作には、鈴木長吉、塚田秀鏡、柴田是真、三浦乾也、白山松哉、宮川香山など後に帝室技芸員に任命される有名な名工が多く関わり、最高級の美術工芸品を生み出しました。

早すぎる解散

海外万博参加や海外支店も2つに増えるなど表向きは好調にみえましたが、政府の保証下で経営が行われていたので、半官半民で情勢にうとく、良質なものづくりを社訓としていたため、人件費や原料代がかさんだことや急激な円高等により、経営が切迫していきます。 1891年に起立工商会社は17年という短命で解散を迎えました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は起立工商会社についてご紹介しました。

起立工商会社は1874年(明治7年)に設立され、17年後の1891年(明治24年)に解散した日本の美術品や物産品を世界に輸出した日本ではじめて出来た貿易会社です。経営的には長く続きませんでしたが、明治政府の殖産興業政策として多大な国益をもたらし、日本の美術工芸の発展に貢献しました。

起立工商会社では良質なものづくりを社訓としており、後に近代美術を代表する帝室技芸員(現在の人間国宝のようなもの)となる名工が製作に関わりました。この会社の製作した作品は最高級の美術工芸品が多く、そのほとんどが博覧会への出品という形で海外に輸出され、日本国内には多くありません。
そのため国内では目にすることが少ない希少な美術工芸品とも言えます。

Gallery尚では今回ご紹介した「起立工商会社」の金工作品のお取り扱いをしております。
ホームページには掲載しておりませんので、ご興味がお有りの方はお問い合わせ下さい。

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