~布目象嵌を得意とする京都の金工家~ 駒井(こまい)

『日本国西京住駒井製(初期)』『日本国京都住駒井製』『京都住駒井製』など

布目象嵌(ぬのめぞうがん)を得意とする京都の金工家

京都で代々刀匠(とうしょう)【刀剣師(とうけんし)あるいは刀剣商(とうけんしょう)】を営む家で、天保12年(1841)に駒井清兵衛が創業したと言われており、布目象嵌(ぬのめぞうがん)の技法で有名です。昭和16年(1941)まで金工品の制作を続けました。
中期から初期とは作風も技法も異なっています。中期には手のかかる布目象嵌ではなく、金箔に彫金(ちょうきん)を施す手法が多く、後年には艶(つや)のない無地で黒地の背景もしばしば使われるようになりました。

初代駒井音次郎(1842~1917)[駒井清兵衛三男、本名:美喬]

慶応元年(1865年)若くして駒井家を継いだ初代駒井音次郎(1842~1917)(駒井清兵衛三男、本名:美喬)は13歳の頃、縁あって肥後の刀装金工(とうそうきんこう)である三崎周助から金属象眼(ぞうがん)の技法を学び、布目象嵌を手がけるようになりました。
明治9年(1876)の廃刀令(はいとうれい)まで刀装具(とうそうぐ)を作っていたが、音次郎は明治6年頃から外国人向けの装飾品(そうしょくひん)を制作して神戸で販売するようになり、外国人から高い評価を得ました。当時、京都と神戸に支店があった池田合名会社と提携、明治14年には京都で豪邸を構えるほどになりましたが、明治18年災事で全資産を喪失してしまいます。
明治27年に独立して京都新門前に店を構えるまで、池田合名会社の社内職人として働きました。
駒井銘は池田合名会社が出品・販売していたためか、明治36年まで国内外の博覧会にはほとんど見られませんでしたが、海外では知名度が高く人気があったので、独立した翌年には京都古門前に新しい店舗を開くほどに評価を得て、以後、煙草入れや宝石箱などの実用性のある品目も制作し始めました。
明治36年(1903)の第5回内国勧業博覧会、明治37年(1904)のセントルイス万国博覧会、明治38年(1905)のリエージュ万国博覧会をはじめ、国内外の博覧会で受賞を重ねました。
家督を息子である清兵衛に譲った後、初代駒井音次郎は周亮と改名し、明治45年まで仕事を続けました。

二代目駒井音次郎(1883~1970)[初代駒井音次郎の息子、本名:清兵衛]

明治39年(1906)、息子の清兵衛(1883~1970)が家督を譲り受け、二代目駒井音次郎を襲名します。
昭和16年(1941)まで盆、箪笥、手箱、花瓶、皿、装身具などとともに博覧会用の金工品の制作を続けました。

 

駒井家作品の一例